2011年9月16日金曜日

「正心誠意」を誠心誠意使う?

 民主党で3人目となる野田総理大臣、演説の上手さでは定評のある方との評判です。
事実、民主党の代表を決める両議員総会では、自分の生い立ちや、政治家のスタートとなった駅での辻立ちの話、そして、相田みつをの「どじょう」の詩を引いての心情の吐露など、なかなかのものでした。
そして、総理大臣としての初めての試金石である「所信表明演説」。ここで彼は、中国の古典中の古典である「大学」から、「正心誠意」を持ってきました。

冒頭、東日本大震災に触れ、
 ・・・政治に求められるのは、いつの世も、「正心誠意」の4文字があるのみです。意を誠にして、心を正す。私は、国民の皆様の声に耳を傾けながら、自らの心を正し、政治家としての良心に忠実に、大震災がもたらした国難に立ち向かう重責を全力で果たしていく決意です。
と切り出し、最後にも、
 ・・・私は、この内閣の先頭に立ち、一人ひとりの国民の声に、心の叫びに、真摯に耳を澄まします。「正心誠意」、行動します。ただ国民のためを思い、目の前の危機の克服と宿年の課題の解決のために、愚直に一歩一歩、粘り強く、全力で取り組んでいく覚悟です。
と、締め括ります。


 普通、現代人がこの単語を使う場合「誠心誠意ー心を誠にし、意を誠にする」と書きます。しかし野田総理は「正心誠意ー心を正す・・」をわざわざ使いました。この慣用句は「大学」の「格物致知、正心誠意、修身斉家、治国平天下」という、あまりに有名なことばからの引用とするのが一般的ですが、この言葉は4つの句の一連の流れで、格物致知の後、修身斉家の前に位置しています。そうすると、正心誠意は、総理として自身の修練をなし、民主党と言う家を整える為にする事のはずで、治国平天下と言う政治の究極の課題に一段飛で言い及ぶには少し違和感があります。
 では、何故、どういう意味でこれを使ったのか?
 事情通の情報によると、幕末に活躍した幕臣、勝海舟の語録「氷川清話」に出てくる話の引用と言う節が有力なのだそうです。


 ・・・いわく「政治家の秘訣(ひけつ)は、何もない。ただただ『正心誠意』の四字ばかりだ。この四字によりてやりさえすれば、たとえいかなる人民でも、これに心服しないものはない


 なぁるほど、国会議員をはじめ、いかなる人民をも、まとめて心服させようと言う魂胆のようですねぇ、、
しかも、裏事情に通じる人によれば、こんな事が囁かれているそうです。



・・・財務省を牛耳り野田さんがもっとも信頼を寄せているのは事務次官の勝栄二郎さんである。勝…勝…。ぎえええ。勝海舟の曾孫ではないか。(注・これには「本人は否定している」という説もあるが少なくとも政界と大マスコミ界では信じられている。信じられているということは「政治的には事実であって影響力がある」ということだ)。
あるいは野田さんは「正心誠意」の原点は『大学』だと知っていたのかもしれない。しかし「勝海舟だよ」と囁かせることで財務事務次官に秋波を送ったのではないか。

さて、好感度が高い野田総理、まだ微かな望みと期待を残している国民に、財務省に牛耳られて神輿の上で踊るだけだったこれまでの2人とどこがどう違うのか、これからの政策と、行動で示してほしいものです。










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