2011年11月4日金曜日

悠仁さま5歳「着袴の儀」

私はごく一般の日本人(極右ではありません、センターライトくらいだと本人は思っています)として、皇室の行事に関心を持っています。
今回引用した記事は、「勝谷誠彦の××な日々」から

<悠仁さま5歳「着袴の儀」 男子皇族は41年ぶり>
 <秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さま(5)の健やかな成長を願う儀式「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。一般の七五三にあたる皇室の行事。 秋篠宮ご一家が見守る中、悠仁さまは着袴の儀に落滝津(おちたぎつ)の服で臨み、宮内庁職員らに白い袴(はかま)を着けてもらった。深曽木の儀では童形服(どうぎょうふく)の正装で髪をすきそろえて切ってもらった後、扇や木の枝を両手に持って、高さ約27センチの碁盤から飛び降りた。>
「着袴の儀」についてはなんとなくわかりますね。では「深曽木の儀」とは何であろうか。
 「深曽木」は「深削ぎ」もしくは「深除ぎ」だと言われている。本来は天皇家だけではなく貴族の家ではどこでも行われていたらしい。幼児の髪の毛を切って、その成長を祝う儀式だ。「削ぐ」「除ぐ」の文字を嫌って「曽木」となったのだろう。「深曽木」は「みそぎ」とも呼べる。「禊」に通じるものもあるのかも知れない。
 最大の疑問はなぜ碁盤なのか、ということだと思う。私も最初は、室町時代など皇室が衰微していた時に「代用」として使われたのかと思っていた。
 しかし、これにはちゃんと意味があるんですね。正確には碁盤でなく「日置盤」というらしい。
 <その御足元には、青石の小石が二個置かれている。次いで殿下は御髪の毛を鋏で切り揃えられた後、足元の小石を踏んで日置盤よりお飛び降りになる。この行事を深曽木(みそぎ)の儀と申す。 
 古伝では、日置盤は高天原を表象し、二個の小石は高天原から眺めた地球と月とを意味するものである。御髪先に鋏をお入れになるのは、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の故事に倣って禊(みそぎ)を遊ばされ、又青色の小石を踏んで飛び降りられるのは、葦原の中津国の支配者として降臨される事を象徴したものである。>
 <その「日置盤」なるものは、罫線が通常の碁盤と同じ19×19路ではなく、21×21路になっていました。 升目でいうと20×20の400マスです。暦における八節(春分・秋分・夏至・冬至・立春・立夏・立秋・立冬)に当たる位置が盤上に記されているほか、陰陽道にいう九星(一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫)を表す碁石が置かれていました。>
 つまり宇宙なわけだ。南に向かって飛び降りるのはもちろん易経に言う「天子ハ南面ス」からである。
 子供のいる読者の方は、ぜひこういう由来を教えてあげて欲しい。悠仁さまもまた子供なだけに興味を持ってくれるかも知れない。本当は大マスコミにはこうした蘊蓄をこそ語ってほしいのだが。
 王室と皇室の違いはここにあるのだ。王室はたかだか国を治めるに過ぎない。しかし皇室は宇宙を統べる。そのことを日置盤から降臨されることで、悠仁さまは示しておられるのである。

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